1日3分で自分を再インストール出来るマニュアルの中身を公開!

みなさん、こんにちわ。

本としての販売は費用と時間がかかりますので、ブログで何回かに分けて皆様へ読んで頂きたいと思います。

本の内容をすべて投稿として出せるかどうかはまだわかりませんが、予定としてはすべての内容を読んで頂き、一人でも多くの方が今以上の生活、豊かな心を手に入れる事が出来るように応援していきたいと考えております。まず初めに、私の半世紀の経験をご覧頂きまして、その後に内容へと入っていきたいと思います。

 

今の自分を変えたい、変わりたい、努力して成功を掴みたいと思っている方、是非お読みください。

必ず何かが見えてくると私は思います。

 

それでは、私の半世紀にわたる経験と、著者がどのような人物なのかを皆様に知って頂く為の前書きをご覧ください。

 

はじめに・・・

 

「1日3分で自分を再インストール出来るマニュアル!夢の実現が可能な自分を作る」をお読み頂きましてありがとうございます。

私は有名な人物ではありませんが現在食品製造機械メーカー海外事業部 部長を任されており、人生経験は豊かだと自負しています。人間関係・仕事・国際的経験、すべてに於いて様々な経験をさせて頂いたと思います。

 

その中で培ったノウハウ・知識を皆様へご紹介し、私が書いた本を読んで頂いた方々と共に成長し、より良い人生へと方向転換出来れば幸いです。

 

今回ご紹介させて頂く内容は1日3分間、ゆっくりと時間をかけて私の書いた本と向き合ってお読み頂けますと、より良い人生を生きるにはどう変わった方が良いのかを受け止めて頂けると思います。

 

これからお読み頂きます再インストール内容は(あいうえおかきくけこ・・・わをん)の順に日本語頭文字46項にまとめて書かせて頂いております。一度にすべてを読み終えるのでは無く、1日1項読んでその意味を考えて頂くと、おおよそ50日間で大切な何かに気付き、自分を再インストールして頂けると思います。

 

最初に私自身がどのような人生を歩んで来たのかを簡単に紹介させて頂きますので、読者様の貴重なお時間を最初だけ10分程度拝借させてください。

 

 

私は生まれも育ちも四国の香川県で、小さな頃から動物が大好きな少年でした。兄弟は兄が一人居て、ある程度仲は良かったですが、小さい頃からお互い違う人生を歩む傾向にありました。兄はガリ勉、私は勉強嫌いで遊びが大好き。性格は全く正反対だったのであまり共感出来る事は無かったように思えます。

 

小学生時代は少し悪ガキで特にいじめられる事も無く、また人をいじめる事も無く、我が道を走る少年時代を過ごし、小学校で唯一学んだ事は動物とのふれ合い、命の大切さと大切な友だち作りでした。

 

中学校へ入ると学校の成績は下から数えた方が早く、勉強が出来る方ではありませんでした。しかし中学2年生半ばになると、自分は高校へ進学出来るのかという不安な気持ちが芽生え、テスト前に一教科10分テスト勉強をするようになりました。

 

そして中間、期末テストと順調に校内順位を伸ばし、学年384人中300番台だったのが250番になり、次に200番以内に入り、中学三年の夏には100番まで昇る事が出来ました。

 

なぜ、たった一教科10分でそこまで急速に成績を伸ばす事が出来たのか。今思えばそれは授業中にノートも取らずに授業の内容を真剣に聞く、そして先生の話で要点を見極めてここがテストに出るというポイントを掴むことが出来たからだと思います。

 

そして高校へは中学時代の成績の上がり方を重視され、推薦入学を果たし高校生活が始まりました。

 

私の高校生活は学校が終わるとすぐにバイトへ入り、ほぼ休みなく毎日3時間程度ですが仕事をしていました。休日は1日中アルバイトをしている日も多くありました。そしてまた朝学校へ行くという生活が3年間続きました。

私の場合には大学へは進まず、工業高校を卒業して最初に就職した仕事は設備設計の仕事です。すごく仕事内容が楽しくて毎日残業しても全く苦にならない程気に入っていたのですが、個人的な都合で1週間どうしても仕事を休まなくてはならなくなり、それが理由で退職しなければならなくなりました。

 

そして、次に就いた仕事は製薬会社の営業マン、俗に言うプロパー(医薬品販売員)です。病院をまわってお医者様と話をして新薬の販売を行うのが基本的な業務でした。こちらの会社はあまり大きな会社では無く、製薬会社の販売店だった為身内企業で仕事がやりにくくなって仕方なく2年で退社しました。

 

次に就職したのは田舎の商店やホームセンターなどに洋服や雑貨を委託販売している会社の営業に就き、1カ月程度勤務しましたが、勤務中に正面衝突という事故に合ってしまい、足を切断される寸前の酷い状況だったため、入院してそのまま退社。ここから大きく人生が変わりました。

 

約2ヶ月間入院をして、退院してもすぐに仕事が出来る状況では無く、様々な本を読みました。そして出した結果はカナダへ1ヶ月間行ってみるという決断でした。

それからカナダのトロントへ行き約1ヶ月間自分の人生について考えました。

 

1ヶ月海外で過ごした答えは、独立・起業という果てなき答えでしたが、日本での生活費も必要だったため、帰国して就いた仕事はカラオケボックスのアルバイト。

そこで約1年間接客業を学び、1年後には店長として抜擢されました。私は当時22歳でした。

 

22歳の若僧がカラオケボックスの店長として活躍するのはとても大変な事で、お酒が入ったテンションマックスの方々を相手に接客をしなくてはならず、その上店長という役職に就かせて頂いた為、すべての責任は店長が負う必要があるので日々苦労の連続でした。それが約2年間続き、その間に念願の独立・起業を果たし、退社しました。

 

その頃の睡眠時間は1日3時間のみ。アルバイトの方とのコミュニケーションを図る為に週末は殆ど朝が来るまでカラオケやビリヤードに付き合い、信頼関係を築きました。

独立・起業をしていったい何を始めたかと言うと、最初は何も考えずにとにかく独立したい、起業したいという一心でタイのバンコクで1ヶ月間滞在して、まともに言葉も分からない状態でバンコク市内を1日10キロ程度歩き、何か商売になるものを求めていました。

 

その時見つけたのが子供のドレスや夜の華やかな女性が身にまとうドレスを日本へ輸入し、ネットで販売するという仕事です。それから約数年間、タイと韓国へ商品を調達に出かけ、そして日本でネット販売を行うという仕事を手掛け、見事独立を果たしました。数年間は非常に利益も出て、年収1000万円を超える時期もあり、安定していましたが、若い時にお金を稼ぐと使い方を知らない為酷い生活になるのは時間の問題でした。

 

その後自分の私生活を改める意味も含め海外で出会った児童養護施設の子供たちへの援助を行うNPO法人を立ち上げ活動を行っていましたが残念ながら協力者に恵まれず、31歳の時に個人事業を廃業し再び会社員への道を選択し、現在の会社に雇用頂き今現在は海外事業部にて業務を行っております。

 

当時私が犯したミスはメインの事業に対して人を育てる事が出来なかった事、一人ですべて業務を行っていた事です。

自営業の間には不景気な時期もあり、その時様々な会社へ個人事業主として業務委託を受け、仕事を行いました。業務委託を受けた数は約10社程度あり、複雑な人間関係、会社の在り方、代表者の考え方を勉強させて頂きました。

 

今の私は決して成功者ではありませんが、今まで培ってきた自分の生き様、そして世間をうまく渡り歩くにはどのようにすれば良いのかという方法は自分なりに多く学んできたのは事実です。読者の皆様にとってその内容が生かされる事により、私は一つ成功を手に出来るのではないかと思います。

 

これからの46項は私にとっても、また読者の皆様方にとっても今後の人生をより良い人生に変える為に有意義な内容だと確信していますので、子供の頃のような無邪気な気持ちで確認頂く事により、これからの人生を生き抜く為の手助けになれる事を願っております。

 

最後にもう一度だけ言わせてください。1日1項のみお読み頂き、時間をかけて自分を再インストールしてください。一度に読み終えた内容は記憶が薄くなります。

大変貴重なお時間を約10分間頂きましてありがとうございました。

それでは引き続きご愛読下さい。

平成28年12月25日 (記)凰仁志 龍一(おおにし りゅういち)

次へ続く:http://www.progress-heart.com/2017/01/31/story1-1/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です